登山は日本の歴史をたどる旅でもあります。
昔から変わらない古道や歴史を刻んだ峠を超えるたびにロマンを感じるものです。
昔と変わらない道を昔の人と同じように歩くって、とても素敵な行為だと思いませんか?
そして登山をされる方なら山でよく「神社」「お寺」「祠」などを見かけると思います。
とくに登山初心者の方は「なぜこんなに多いの?」と疑問に思われている方も多いでしょう。
私は昔はそれほど歴史には興味はなかったのですが、登山を始めてから日本の歴史、というか「この山はどういった場所なのか」
「過去に何が起きた場所なのか。」など、興味がわくようになりました。
今回は、なぜ日本の山の上に神社があるのか?そして日本の山岳信仰の歴史についてまとめてみました。
目次
日本の山に神社がある理由
昔の山岳信仰の名残
日本の山岳信仰の歴史は古く、はじまりは縄文時代まで遡ります。
その時代から人々は山には神々が宿り材料や燃料、食料などの恩恵を与えてくれるのは山のおかげと考え、感謝と畏敬の念を持っていたようです。
また、神話にも日向の高千穂峯の天孫降臨神話があるように、山は神々が降りる場所だったとも考えられておりました。
これは山は悪魔の住む場所とされて恐れられていたヨーロッパとは対象的です。
日本百名山の「両神山」など、今でも山岳信仰の色が強く残る山も多く存在します。
イザナギ、イザナミの二人の神を祀っていることから「両神山」と名付けられた(諸説ある)
今でも登山道には石仏、石碑、丁目石が残されている霊山でもある。
そしていつしか山自体が崇拝の対象となっていき、明治の廃仏毀釈(仏教を排斥し、寺などを壊すこと)で多くの寺社は神社に統一されていきました。
今も山頂に残る社には自然信仰・仏教・修験道など様々な意味があるそうです。
山だけでなく自然そのものも崇拝や信仰の対象となっていた
そもそも神とは自然現象を人格化したもの。
昔から自然豊かだった日本は自然のいたるところに神は存在すると考え、岩・木・石なども信仰の対象としてきました。
そのような歴史があるので自然の集合体のような山を崇拝する山岳信仰も生まれただのだと思います。
仏教や修験道が盛んになる以前から日本人は山や自然を崇めてきたようです。
山岳信仰から信仰登山へ
今でも娯楽というよりかは登山を「トレーニング」と捉え、取り組んでいる方も多いと思います。
このような心身を鍛えるための登山も古くからあり、それを「修験道」といいます。
山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教である。 (WIKIより引用)
修験道は日本古来の山岳信仰と仏教が繋がってできたとされる信仰です。
このような修行目的の登山は西暦700年ごろに始まり、今でもこの文化は残っております。
ですがこのような修行目的の登山は日本独自のもので、他の国ではあまりみられなかったもののようです。
そしてあの富士山にも修行の場所があったらしく、末代上人は修行のために富士山に数百回も登ったとの記録も残っているようです。
山岳信仰の名残で女性が登れない山も
まず、かつては修験の山のほとんどは女人禁制だったようです。
その理由は山は神聖な場所であると同時に厳しい修行の場と考えられてきました。
そのような修行の場から、性的な欲望を掻き立てる存在としての女性が入るのはまずいという禁欲主義に基づく考え方と「穢れ」という概念などからきているようです。
そのため今では誰でも登れる月山、立山、白山、富士山も修験の山だったのでかつては女性は立ち入り禁止だったそうです。
それでも結界を破って登ってきた女性は石に変えられてしまった、という伝説も各地に残っております。
このような女人禁制は明治時代〜昭和初期にかけて解禁されていったのですが、今でも奈良県の大峯山、石川県の石仏山、は女性は立ち入ることはできないようです。
まとめ
山頂にある神社には近くに標識があることも多く、その神社や山の歴史が記されております。
それを読むとよりその山を深く知ることができるのでより登山も楽しめますよ。
初心者の方はただ景色を楽しむだけでなく、山にある神社や祠などの人工物に目をやってみるともっと楽しめると思います。
山にある人工物の全てには様々な意味が込められているはずです。
みくぞう
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